発展途上国フィリピンでのODA橋建設プロジェクトの活動内容
実際に私は、2009年3月から2009年9月まで約半年間、
フィリピンでODA の仕事に携わって参りました。
仕事内容はフィリピンのビガンという都市に、
約500メートルにもなる橋を建設するプロジェクトでした。
ちなみにビガンはこちら。
首都マニラからも随分遠くに位置していることがわかると思います。
これからODA橋建設プロジェクトの内容について詳しく説明したいと思います。
ODAとは?
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まず ODA という言葉に馴染みがない人向けに ODA について解説します 。
ODA(Official Development Assistance) は、
日本語で言うと政府開発援助になりまして、
日本政府が発展途上国などに対して資金の支援や技術的な支援を行うことを指します。
詳しくはこちらの外務省のページに記載がございますのでご確認ください。 ODAとは
今回の私のケースはジョイントベンチャーと言って、
日本の建設会社三社が協力して、ODA プロジェクトを政府の依頼で推進していました。
✅ 一つ目の会社は橋の鉄骨材料を供給する会社
✅ 二つ目の会社は橋の橋脚を作る会社
✅ 三つめの会社は橋を組み立てていく会社
私がこの仕事を見つけた経緯
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私がどのようにこの仕事を見つけたかと言うと、
現地に住む日本人からの紹介でした。
当時の私は、フィリピンのバギオという所で英語語学留学をしていたのですが、
私にODAの仕事を紹介してくれた方は、
私よりも1年ほど前に語学留学でフィリピンを訪れており、
先ほどのジョイントベンチャーの一つの会社で、
事務員を募集していた際にその会社の現地採用としてすでに入社しておりました。
私のフィリピン留学の内容についてはこちらをご確認下さい。
その方とは、共通の知人が主催するホームパーティーで何度かお会いさせていただくうちに仲良くなり、
とある時に、
ビガンの現場で英語通訳を探しているからもしよければやらない?
という話をいただきました。
バギオは居心地がよく好きだったので、離れるのは少し寂しかったですが、
貴重な経験になりそうだったので、
後日、私はその方と現地視察に行くのと同時に、
面接を行い無事入社させていただくことになりました。
私の仕事内容について
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私の仕事は、フィリピンのビガン郊外にある約500メートルの橋建設現場で、
日本人の現場監督や技術者(鳶さん)が出す指示をフィリピン人に英語通訳する仕事でした。
英語語学学校で英語を習っていたとはいえ、私の英語力で通用するか最初は不安でしたが、
意外にもすんなり仕事に入ることが出来、時間が経つと共に現場で使う専門用語を覚えていき、
自分自身の英語力もどんどん向上していきました。
仕事の雰囲気
仕事は毎日建設現場に行って、朝から晩まで現場にいましたので、体力的には結構きつかったです。
ご承知の通り、フィリピンは熱帯にあたり非常に暑い地域でしたし、
プロジェクトの進捗状況から、休みは2週間に1度しかなくとてもハードでした。
途中体調を崩して2~3日休んだことも何回かありましたが、
このような経験をさせていただくのはとても貴重な機会だと思っておりましたので、
一生懸命働きました。
現場に毎日顔を出してると、フィリピン人作業員とも仲良くなってきました。
休憩時間には彼らの家族の事だったり生活の事だったり、
プライベートの内容も話しするようになり、とても貴重な話を聞くことが出来ました。
その中で一番感じたのは彼らの明るさでした。
私たちが日常で忘れてしまいがちな「笑顔」や、
人生において「楽しむ」ということをフィリピン人は重要視していて、
「フィリピン人はお金がないかもしれないけど笑顔がいつもあるから幸せなんだ」
とあるフィリピン人が言っていたのがとても印象的で今でも覚えています。
また、彼らの日本人への印象を聞く機会もあったのですが、
その中でも特に印象に残っているエピソードが、
「 あなたの国はとても羨ましい。なぜなら世界でも2番目の大きな国です。そんな国で生まれていたら簡単に海外旅行も行けるし、経済的にも世界から認められている。それはとても羨ましいことだ」
と言われました。
※当時は中国にGDPがまだ抜かれる前で世界2位の状況でした。
この発言の理由について詳しく話を聞くと、
彼らは国の信用が低いため、ビザなしで行ける国が日本に比べ非常に少なく、
出稼ぎに海外へ行きたくてもビザの問題から行けない国も多いのだと聞きました。
確かに日本人は海外に行く際に、
ビザなしで多くの国に行くことができるので、
フィリピン人のような感覚を持ったことがあまりありません。
この時、私は日本で生まれたのはとても恵まれた事なんだと改めて感じました。
ある意味、日本のパスポートはブランド品のようなものです。
日本では感じることが出来なかった感覚を海外に来て気づくことが出来、
とても考え深いものがありました。
休日の過ごし方
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少し話が変わりますが、現地にいた際にどんな休日の過ごしていたか紹介します。
私の住んでたアパートは、ビガンの街の中心から車で5分程度の場所にありました。
なので休日は、家の近くでトライシクルと呼ばれるバイク3輪車を捕まえて、
街の中心までよく出かけて行きました。
トライシクルの値段は往復で80円程度でとても安かったです。
ビガンの街では食事をしたり、映画観に行ったり、CDやDVDを買ったりしていました。
物価が安いので、レストランに行っても500円~1,500円程度でしたし、
映画館も200円程度でした。
フィリピンは物価がとにかく安く、
貴族のような気分になれる点はとてもいいですね。
ビガンの街に行く以外は、自宅でDVD鑑賞をしたり、
アパートで同僚の日本人やフィリピン人と食事をしていました。
特にやることはなくのんびりした休日を過ごしていることが多かったですね。
トラブル発生
ここでまた仕事の話に戻りますが、
ある時、日本では考えにくい印象的なトラブルが発生しました。
ビガンの橋建設現場で大きなクレーン車を使うにあたり、
クレーン車用の枕木をルソン島の中心部の山から取り寄せて使用する段取りをしていたのですが、
予定の納品日になっても一向に枕木が届きません。
状況がどうなっているのか、手配してくれたフィリピン人スタッフに確認するも、
情報が入ってこないからわからないとのこと。
何度も先方に確認するも情報が入らず、2~3日経ったある時、ようやく情報が入りました。
その内容は、
山からトラックで木を運んでる途中にゲリラに襲われ、運転手とトラックは行方不明とのことでした。
えっ!そんなことって起こりうるの?と思いましたし、
本当なの?と思いましたが、実際に枕木が入荷されなかったのは事実です。
結果として、クレーン用の枕木は鉄板で代用したわけですが、
海外ではこのような不測な事態も起こりえますので、
日本とは全く想定外の出来事が発生することも踏まえ、
プロジェクトを推進していかなければいけないと考えさせられました。
フィリピンでの仕事の印象
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仕事面はというと、私はプロジェクト管理に携わってきたわけではないですが、
日本人現場監督の方がよく話をしていたのは、
外国で仕事を進めるのは本当に大変だと言っていました。
例えば、日本人同士ですと、阿吽の呼吸という言葉があるように、
雰囲気である程度、状況を理解するのですが、
フィリピンでは明確に物事を伝えないと仕事が進まないケースが多々ありました。
これはフィリピンだけではなく、
外国人と仕事をする上で、しっかり物事を伝えるということはとても重要だと学びました。
外国では日本と勝手が違いますし常識も異なります。
なので海外進出する際には、様々な想定外のリスクもあることも想定して、
慎重に判断しなければいけないと感じました。
ただ今回のようなODAでの技術協力という面を見ると、
これは現地人や国にとっては将来的につながるとても良い活動だと思いました。
政府開発援助と言われてる通り、発展途上国に対して技術提供を行い、
より良い経済発展を遂げていくためには必要な活動だと思います。
まとめ
私としてもこの ODA の仕事をさせて頂いたことは、
人生にとってもとても大きな経験でしたし、
本当に貴重な体験をさせていただいたと思っています。
この経験を通して、より一層フィリピン人の文化や考え方を知ることができ、
フィリピンがより好きになった経験でもありました。
フィリピンのイメージと言うと、治安面で不安と思うかもしれませんが、
フィリピンの全てがそういう場所ではないですし、人柄もとてもいい国民性なので、
この機会にイメージが変わってくれたら嬉しいと思います。
皆さんが海外でODAの仕事に従事する機会はなかなかないかもしれませんが、
海外でしばらく暮らしてみると、日本を客観的に見れたり、
現地の国と深く触れ合う機会があり、人生感が変わることもあるかもしれません。
もしいけるチャンスがある方は、一度は海外で暮らしてみるのもいいのではないでしょうか。